恥ずかし気もなく語る    私の趣味

 

最近の私の趣味は何を隠そう「習字」です。みんなに黙っていたから、ここに発表するのが初めてになるのでしょうか。字が下手だと職員が“嫌だ、うちの院長は字が下手だ。”と恥ずかしい思いをするのではないかと思った。能ある鷹は爪隠すで、突然うまくなって、どこかで披露して良い格好したいと、すこぶる不純な動機で密かに始めた趣味です。55歳から始めた趣味ですから、昔なら老いての手習いということになります。この歳でもチャレンジ精神旺盛というのが私の売りなのです。

 単身赴任のアパートの一室で何もすることがないと、小人閑居して不善をなすという諺のとおり、ろくな事しか考えないだろうと始めたのですが、実際、一人閉じられたアパートにいると、“どうしても病院は利益を出せない。医師確保にどこに行っても断られてしまう。わがままなことを言う人が多くて困る”とリングワンデリングで考えてしまうものです。そんな閉じられた思考になりがちな気持ちを撃ち破るための気分転換になるのです。 そこで、最初に、できることならこんな字を書きたいと憧れるような、お手本を一杯本屋から買ってきた。まず“孔子廟堂碑”“蘭亭叙”“高野切第三種”など古今東西の名筆を真似することから始めた。独学で始めたので、何か目標が欲しいと思い立った。手じかな目標は何かないかと考えたが何もない、弱り切って、とりあえずは半紙1000枚に書いてみようと勝手な目標設定をしたところがそこらの書家とは違うところかな。

 

ちょっと旅行した時も旅館やホテルの一室で、四役会議が終わって部屋に引き上げた時も、川南病院に医師応援で行った時もわずかな暇を見つけては、墨をおもむろに摺って黙々と筆を運びました。名古屋に単身赴任の身ですが、たまに滋賀の自宅に帰って家族と顔を合わせても、テレビを見ながら、黙々と筆をすすめた。あまり熱中したもので、妻からきついクレームが入ってしまった。せっかく家族と顔をあわせているのだから、こんな貴重な時間に「習字」なんて不謹慎だというお叱りを受けてしまった。 最初は半紙1枚あたり6字を書いていたが、この調子だと一日10枚は軽く書いてしまう。数カ月であっと言う間に800枚を越えた。ところが、少し慣れてくると、日常の生活ではそんな大きな字は必要があまりないことに気が付いた。手紙や芳名録に書く字はずっと小さいのだ。ここ一番のええ格好しいには、細字の練習が必要であると自分に言い聞かせて800枚位書いたところで、細字の練習に切り替えた。すると今度は1日当たりの枚数がぐっと進まなくなった。半紙1枚にたくさんの練習をするのでせいぜい一日1〜2枚という毎日でぺースがダウンした。それでも、自分を励ます意味で、誰かに読んでもらえばこのやる気を持続できるかと、せっせと妻に向かって筆で恋文を書きはじめた。遠距離恋愛の貴女にという他愛のないものだが、書きためた恋文を妻に渡すと、満更でもないようで、少しにんまりとしている。心なしか、恋文を渡すと妻の機嫌がしばらく良いような気がする。効用があるようだ。一石二鳥だ。こうして、順調に途中で挫折する事なく、枚数を増やしていった。
 そしてとうとう昨年の年末に念願の1000枚を達成。変な学習法に、真面目に書をする方は眉を潜められるでしょうが、本人は至極真面目なのです。1000枚書いた自分へのご褒美は高級な書の道具とこれも独断で決めた。京都の老舗の書道具屋さんの“鳩居堂”に足を伸ばして何千円もする筆を私自身に買って与えてあげる。よくやった今度は1500枚だねと自分の頭をなでなでする様なんて、滑稽そのもので、とても人に見せられたものではない。自宅で習字をすることに反対した妻も、私が一人こっそりと「習字」に励むのは暖かく見守ってやりたいのか、中国の北京に旅行した時には端渓のすばらしい硯を買って、お土産に持って帰ってくれた。鳳凰の彫刻がほどこされた見事な丸い硯だが、その硯がとてつもなく大きくて重い。よくこんな重いものをはるばる中国から運んでくれたと、妻の思わぬ愛情に感謝感激雨霰。

 ところで、字は上手になったかって?ぜーんぜん。でも、人の家の床の間の字が気になりだしたり、古人の字にお目にかかると、その方の字を通してみる一面が気になりだしたり、何か少し世界が広がったような気分になれるのも妙なものですね。まあ、趣味なんてそんなものじゃないですか。お粗末さま。             (平成12年2月11日)